研究内容について

私たちは、「ショウジョウバエ」 と 「蚊」 を使って、求愛コミュニケーションを成立させる脳のしくみを調べています。



最近の研究発表

■ HFSP2021 採択課題:  蚊の聴覚コミュニケーションの解読
Decoding acoustic communication in mosquitoes : From distortion products to vector control     


蚊の「耳」を操る物質を発見  Xu, Loh et al., (2022)
  

音のリズムを聞き分けるメカニズムの発見  Yamada et al., (2018)

  


ハエの歌識別学習の発見   Li et al., (2018)

  



■ ショウジョウバエ聴覚系の神経解剖学

 私たち人間を含めた多くの動物は、コミュニケーション手段として音を利用しています。コミュニケーションに使われる音の多くは種に固有のパターンを持つため、その伝達が成立するためには、受け取った音の意味を理解する、といった脳での情報処理が必要です。では、脳の中のどのような神経回路の組み合わせがこのような情報処理を担っているのでしょうか。私たちは、神経回路レベルで脳を理解するための優れたモデル動物であるショウジョウバエを利用して、音情報処理を担う聴覚神経細胞の包括的な同定と神経回路地図の作製を行っています。
 ショウジョウバエは求愛する時に、「求愛歌」と呼ばれる種に固有の羽音を奏でます。このような音の情報処理を担う脳の神経機構の理解を目指して、私たちは、ショウジョウバエの聴覚神経回路の網羅的な同定解析を進めています。今までの私たちの研究から、ショウジョウバエの聴覚器から脳へ投射する一次神経細胞が形成する神経回路地図が世界で初めて明らかになりました。また、二次神経細胞が形成する神経回路の構造を調べてみると、私たち哺乳類の聴覚系と類似性を持つことも分かりました。このことは、ショウジョウバエを用いた聴覚研究が、私たち自身の聴覚システムの理解にも貢献しうることを示しています。現在は、これらの神経細胞から情報を受け取る、より高次な神経細胞の体系的な同定を進めることで、ショウジョウバエ聴覚系を構成する全神経回路の全体像の包括的理解を目指しています。

 

■ 音のリズムを聞き分ける神経メカニズムの研究

 音のリズムを聞き分けることは、ヒトを含むさまざまな動物のコミュニケーションにおいて必須の能力です。ショウジョウバエは、ヒトとは全く異なる外見をしていますが、ヒトと同様に音のリズムの僅かな違いを聞き分けることができ、またヒトと共通した脳内メカニズムを備えていることがわかっています。私たちのこれまでの研究で、ショウジョウバエの脳内のニューロンが、他のニューロンの応答を絶妙に調節する「ブレーキ」の役割を果たすことで、音に対する過剰な反応が起こらないように制御していることがわかりました。この脳内メカニズムをさらに解析することで、ヒトの会話や音声認識にも共通する「音のリズムを分析する脳内メカニズム」の解明に繋げたいと考えています。

 

■ 音を識別する能力を後天的に獲得する学習機構

 鳥の歌学習や人間の言語学習は、音パターンを識別する先天的な脳内機構と幼少期での聴覚経験で成熟する後天的な脳内機構とが協調して働くことで実現されます。 私たちは近年、ショウジョウバエも同様のメカニズムで正しい歌を学習することを発見しました。 研究対象としてのショウジョウバエは、研究データを得るスピードの速さや遺伝子操作技術の豊富さを特徴とし、動物一般に共通する神経メカニズムを多く備えています。 私たちはこの利点を生かして、歌や言語学習を担う神経機構や分子機構を解明するための最も単純なモデル系として、多彩な実験操作が可能なショウジョウバエを用いる、という新たな研究戦略を展開しています。

 

■ 蚊の配偶行動を制御する神経機構の解明と応用

 蚊は吸血することで感染症を媒介し、毎年数十万人規模で人を死に至らしめます。蚊の吸血は、交尾後のメスが産卵のための栄養源を得る行動です。よって、蚊の被害を防ぐ方策の一つとして、配偶行動への介入が考えられます。そこで私たちは、日本を含むアジア地域においてデング熱やジカ熱などを媒介するヒトスジシマカや、熱帯地方でそれらの感染症を媒介するネッタイシマカなどの蚊を対象にして、その配偶行動を成立させる神経基盤の解明に挑んでいます。特に、配偶行動に重要な役割を果たすと予想される聴覚系に着目して、その機能や特性を行動や神経細胞のレベルで解明することを目指しています。蚊の配偶行動を聴覚を中心に据えて理解することで、新たな蚊の繁殖制御法の開発に繋がる可能性があります。

 

■ 行動の進化をもたらす遺伝子と神経回路の変化を特定する

 動物の行動は可塑的であると同時に、ある種や系統群を特徴づけるのに非常に有用な形質のひとつでもあります。進化の過程でしばしば行動変化が形態変化に先んじるように見えることから、行動は、形態と相互作用しながら、ときには形態を先導して、進化してきたと考えられています。近年、進化発生学Evo-devoの発展により、形態進化の分子機構については徐々に理解が深まってきましたが、一方で「新たな行動がいかにして獲得されるのか」や「行動の種特異性はどのように成り立っているのか」に関しては、ほとんど理解が進んでいません。


 動物の行動は複雑な神経回路に制御されており、この形成はさらに複雑な遺伝子ネットワークによって支配されています。もちろん環境入力が個体の行動に及ぼす影響(経験や学習)は無視できませんが、ある種(系統)の行動に一定の傾向が存在している以上、行動の進化は「ある種(系統)の個体の神経回路の変化とそれをもたらすゲノムの変化」として語れるはずです。ゲノム上のある僅かな違いが、ニューロン(群)の構造や性質を変化させ、その変化が神経回路全体の改変をもたらし、種間や個体群間の行動の違いを説明しうるのです。このような行動の進化を具体的に示すには、ある行動の形成に関わる遺伝子や神経回路を種間で比較し、それらの違いが行動形質の違いにどのように影響するのかを知る必要があります。


 キイロショウジョウバエは古くから発生学や遺伝学の材料として用いられてきたが、進化学においても重要な地位を占めています。特に進化発生学において「種特異的な形態形質がいかに形成されるか」の分子機構はキイロショウジョウバエに異種のゲノム配列を導入することで解明されてきました。このアプローチを行動形質の解析に導入すれば「種特異的な行動がいかに獲得されるか」のメカニズムを明らかにすることができます。ショウジョウバエ種群の行動の多様性は古くから知られており、またキイロショウジョウバエではさまざまな行動に関する神経回路や遺伝子の知見が多く蓄積しています。さらに最近では単一ニューロンの可視化や活性/不活性化技術によって、行動に関わる神経回路の高解像度な解析が可能になってきています。そこで、私はキイロショウジョウバエとその近縁種を用い、どのような神経回路とゲノムの変化が新しい行動の獲得を引き起こすのかを理解しようとしています。