2001年に韓国の国会議員が日本の国会議事堂の前で、教科書問題に対する抗議として「日本は反省しる!」というプラカードを持って座り込みを行いました。これが2ちゃんねる電子掲示板で受けて、韓国に関連する話題で「~しる」という表現が使われるようになりました。
私は個人的には、表音文字の平仮名やカタカナの文字数は多すぎで(音節の種類数は少ないのに。日本語の音節の種類は金田一春彦博士によると112種類、英語の音節の種類は数万種類(!))、非体系的なものであると思うのです(と言っても文字自体を変えることには反対なのですが。ノスタルジーではありません。読む速度の問題です。キーボードのカナ入力できる人に「ローマ字入力しなさい。」と言うでしょうか?)。特に「る」と「ろ」は同じ子音「r」を持つ文字なのに、形が似過ぎのように思います。外国人が「る」と「ろ」とを間違うのは当然のことで(中国製の花火の日本語の注意書きにもこのような誤植がいっぱいあります。「ン」と「ソ」、「ち」と「ら」、「ク」と「ワ」と「タ」、「う」と「ラ」と「フ」、「シ」と「ツ」など。私個人的には「一(漢字のイチ)」と「ー(全角の長音)」と「-(半角のマイナス)」の区別には困っています。「一」と「ー」と「-」の誤植もいっぱいあります)、それを面白がるのは了見が狭いということです。英語のように誤記・誤植をある程度許容しない限り(「中国風日本語」とか、それがグローバル化ということ)日本語を勉強しようという外国人は居なくなります。こう言う誤記に許容的というのは、私の印象ではアメリカでは社会の上層部(マスコミなど)ほど強いものでした。
「~しる」を面白がる2ちゃんねらーは、平仮名は本来、草書体の続き字の形だということも知らないのでしょうね(「光年」)。カタカナは漢字の楷書体の一部を取ったもので、平仮名は漢字の続き字の草書体に由来します。平仮名の活字はそれをバラバラにした素晴らしい発明です。
私も高校の書道の時間に平仮名の続き字をやりました。力を抜いて(筆圧を小さくして)テロテロと書くものです。
「中二病」という言葉もありましたが、2ちゃんねらーの多くは中学校二年生くらい、ということなのでしょう。「脳の意外な単純さ?」にも書きましたが、「中学校二年生=14歳」は「危険なお年頃」というわけなのです。ですから、2ちゃんねるのような大人も覗く出力メディアを持たせていて果たして大丈夫か?ということになります。昔の2ちゃんねるの独特の口調・表現も(古いですけど「鬱だ氏のう」とか「逝ってきます」とか「kwsk(詳しく)」など。「kwsk(詳しく)」は広く浸透すれば良い表現だと思います。「エホバ」も「ヤーヴェ」と同じ語源だそうです)、この世代特有のものです。大人になったら恥ずかしくなると思いますので(命を失うということがどれほど大きなことか、未だ知らないのです)、暖かい目で見守ってあげましょう。「人間は、二十歳前後と老年期の2回、死に近づく」という格言があるそうです。
韓国の「ネチズン」というものも、同じ世代のように思います(日本では死語。私は「朝鮮新報」などの新聞でこの言葉が使われていると違和感を感じます。ですから誰か新聞記者の方に日本では死語ということを教えてあげた方が良いと思います)。でも、おそらくそんな子どもの誹謗中傷を苦にしてパク・ヨンハ(「冬のソナタ」で好演した韓国の素晴らしい俳優)は自殺してしまいました。社会的な影響の大きさを考えると許されないことです。ネット上や他の言論メディアでの、個人が対象の誹謗中傷は一切止めましょう。
でも2ちゃんねるの掲示板には昔のコンピュータやドラマのように、マニアックで、そこでしか情報を得ることの出来ないものがたくさん存在していますから(たぶん大人の2ちゃんねらーの方が書き込みして下さっているのでしょう)、存続していっていただきたいと思っています。
ところで何故「2ちゃんねる」なのかというと、「あめぞう」掲示板は1チャンネルで、その避難所(掲示板荒らしなどからの)だったからだそうです。
英語では「L」と「R」の子音は(それと「D」の子音も)良く似た音で、しばしば「L」←→「R」の交換が起こります。そんな違いよりももっと根本的に重要なのは、アクセントを付けて単語を発音するということで、極論すれば「L」と「R」の子音の相違など、どうでも構いません(「お腹から声を出す」)。
ところで以前エッセイで「○○先生の筆記体は美しく、素晴らしかった」というような文章を見ましたが、ナンセンスな表現だと思います。もし筆記体が美しかったら、それは無個性な文字でサインなどに使われる筆記体としては失格なものなのです。子どもたちにアルファベットを教えるときには「他人も読む文章には読みやすいブロック体を用いるように」とも伝えていただきたいと思います(これからの時代、筆記体は読めれば良い)。
アメリカでテレビを見ていた時に、スポーツ選手のインタビューでも、深い内容のある言葉を言っているのに驚きました。外国人選手が「阪神タイガースは一番や!」みたいなことしか言えないのは仕方がありませんが、日本人選手でも通常そんな話はしないからです(中田英寿選手など、一部のスポーツ選手は別です)。
前にも「大母音推移」で書きましたが、英語ではしゃべり始める前に、文全体の構造をしっかり構築してからでないと話し出すことができません(語順で「主格」「目的格」などの格が決まるので)。普段そのような練習ばかりしているので、アメリカ人は議論が得意で、反面離婚件数も多い、というのは穿ちすぎの見方かも知れませんが…(離婚率のトップは、複雑な格変化のあるロシアのようです。英語が公用語の一つであるカナダの離婚率は日本とあまり変わらないようです。イタリアはものすごく低いです)。
お正月にゲストで「KARA」が登場してきたバラエティ番組がありました。日本人のお笑い芸人の方が司会・進行を務めていたのですが、テレビを見ていても、また司会の方自らも、自分達よりも「KARA」の方が遥かに賢いということが理解されて、ツッコミを入れづらそうに、やりにくそうにされていました(ツッコミ>ボケという知力になっている、という設定を演じますから。実際はボケの方が賢いケースもいっぱいあるのだと思いますが)。本当にその通りだと思います。「KARA」にも「AKB48」にも失礼な話ですが「AKB48」の方が良かったのではないか?と思いました。つまりジャンルが違い「KARA」は天然ボケのアイドルではないのです。